試合結果より先に、変な話が届く。家で知る次男の野球チーム
仕事や家のことが重なって、練習にも試合にも、ほとんど顔を出せていない父親です。少年野球をやっている子の親というと、週末は必ずグラウンドにいて、スコアブックをつけて、他のお父さんたちと立ち話をしている——そんなイメージがあります。私は、そこにはいません。
だから次男の野球のことは、家に帰ってから、本人の口から聞いて知ることがほとんどです。風呂上がりの、髪がまだ半乾きの状態でソファに転がっている次男から、ぽつぽつ出てくる話。それが私の情報源です。
ただ、その話がいつもちゃんとした報告なら、まだいいのです。
「今日は勝ったのか」「何番を打ったのか」「どこを守ったのか」
親としては、そういう話から聞きたい気持ちがあります。
でも次男が話してくるのは、たいていそこではありません。
たとえば、監督とコーチのひとりが口げんかみたいになって、そのあと監督がそのコーチをぎゅっと抱きしめた、という話。しかも抱きしめられたほうも、まんざらでもない顔をしていたらしいのです。聞きながら、これはもう野球なのかコントなのか、私には判別がつきません。
別の日は、誰かが教わっている最中にその子が失敗して、ついでに教えていた監督まで失敗した、という話。さらに別の日は、コーチに教わっていたら、そのコーチがこけて、砂ぼこりが上がって、みんなで笑った、という話。
次男は、そういう場面をやけに楽しそうに話します。
こちらとしては、「で、野球は?」と突っ込みたくなるわけです。でも、次男の中では、たぶんそれも全部ちゃんと「野球」の一部なのだと思います。大人が思う「野球のハイライト」と、子どもが持ち帰ってくるハイライトは、ずいぶん違う。プロ野球のニュース番組なら絶対に使わない場面ばかりが、小学6年生の記憶には残っています。
極めつけは、食べ物の話でした。
試合前、チームのみんなでおにぎりを食べていたら、監督が横にやって来て、自分の唐揚げをこれ見よがしに見せながら「唐揚げのほうがいいだろ」と言ってきたそうです。すると子どもたち全員で、声をそろえて「おにぎりがいいし」と返した。
ところがその監督、次の日にはなぜか自分もおにぎりを持ってきていたらしいのです。子どもたちは陰で、「本当はおにぎりがよかったんじゃないの」「絶対まねしてるじゃん」と笑っていたとか。
これだけ聞くと、もう何のチームか分かりません。おにぎりのチームです。
でも、そういう何でもないやり取りを、次男がちゃんと覚えて帰ってくる。それは、その場所が、ただ厳しいだけの場所ではないということでもあると思うのです。
もちろん、私が見ているわけではありません。本当の練習の空気や、試合中の張り詰めた時間のことは、私には分かりません。監督が真剣な顔で指示を出している瞬間も、コーチが声を荒げる瞬間も、きっとあるのだと思います。週末のグラウンドにしか存在しない顔が、それぞれにあるはずです。
ただ、家に帰ってきてその話をする次男の顔を見ていると、少なくとも笑える場所ではあるらしい、ということは分かります。それだけで、父親としてはけっこう救われます。
少年野球と聞くと、どうしても勝ち負けや、打率や、技術の話を想像してしまいます。ネットで検索しても、そういう情報ばかりが出てきます。でも、子どもの記憶にちゃんと残っていくのは、案外、監督のずれた唐揚げ発言だったり、コーチがこけた瞬間の砂ぼこりだったりするのかもしれません。
親としては、もう少し立派な報告も聞いてみたいです。「今日はこういう課題があった」「次はここを頑張る」みたいな、面談で使えるやつです。でも現実には、そういう話より先に、コーチと監督のよく分からないやり取りが出てきます。順番は、いつも次男が決めます。
それでも最近は、それでいいのだろうな、と思うようになりました。
細かい出来事を覚えているということは、次男がその場所をちゃんと見ているということです。そこにいる大人たちの失敗も、笑いも、ちょっとした優しさも、全部ひっくるめて持ち帰ってきている。たぶんそれは、子どもがその場所を「安心して見渡せている」ということの、ひとつの証拠なのだと思います。怖い場所では、人の顔まで見る余裕はありません。
私はグラウンドには行けていません。
でも、次男が持ち帰ってくる小さな話を並べていくと、少しずつチームの空気が浮かび上がってきます。週に何本か、点描のように届く話。それをつなげていくのが、今の私の見方です。
試合結果より先に、変な話が届く。それはそれで、今の次男らしい、野球の伝え方なのだと思っています。この伝え方を覚えているのは、たぶん父親である私のほうです。覚えている側が残しておけば、それでいいのだと思います。