親の期待が子どもを苦しめる瞬間|"がんばれ"の前に、伝えたいこと
あれは、負け試合の帰り道でした。
助手席の息子は、窓の外をずっと見ていました。
その日、チャンスの場面で三振した息子は、ベンチに戻るときも下を向いていて、私は運転しながら、励ますつもりで、つい言ってしまったんです。
「あそこ、なんで振らなかったの?」
息子は何も言わず、ただ小さく「うん」とだけ、あの横顔を、私は今でも覚えています。
打てなかったこと。エラーしたこと。チャンスで結果を出せなかったこと。誰よりも先に、本人が一番わかっています。
野球は、結果がはっきり見えるスポーツです。
ヒットか、凡打か。数字にもプレーにも、その日の出来がそのまま残ってしまう。
だからこそ、失敗した日の子どもは、もう十分すぎるほど傷ついています。
そこへ親の「なんで」が重なると、どうなるか。
追い打ちをかけられた子どもの心には、こんな言葉が少しずつ積もっていきます。
「失敗すると怒られる」 「打たないと、認めてもらえない」
大好きだったはずの野球が、いつの間にか「試される場所」に変わっていく。
私が息子にかけた一言も、たぶんその一粒でした。
私たちが「もっとできるはず」と思うのは、我が子の可能性を信じているからです。
毎朝お弁当を作って、週末は送迎して、泥だらけのユニフォームを洗って。
それだけの時間と労力をかけているから、報われてほしいと願う。
ごく自然な、親としての気持ちだと思います。
でも、その愛情が、いつの間にか子どもの背中に「結果を出さなきゃ」という重りを乗せてしまうことがあります。
つい口をついて出てしまうのが、他の子との比較です。
「〇〇くんは打ってたね」
悪気なんて、まったくない。ただ見たままを言っただけ。
それでも子どもの耳には、「お前は打てなかった」に変換されて届きます。
比べられて燃える子もいるのかもしれません。
けれど、比べられて自信をなくす子のほうが、私はずっと多いと感じています。
正直に打ち明けると、苦しいのは子どもだけではありませんでした。
あんなに練習しているのに、どうして結果が出ないんだろう。
活躍できない日が続くと、私自身の気持ちまで沈んでいく。
気づけば、息子の打席の結果が、その日の私の機嫌を決めていました。
それでも、少年野球を持つご家庭ではめずらしくない話だと思うのです。
だから一度、立ち止まって考えたいことがあります。子どもの野球は、誰のためのものか。
親のためでも、コーチのためでもなく、子ども自身のもの。
当たり前のようでいて、熱が入るほど見失いやすい。
この軸がぶれた瞬間、応援のつもりの言葉は、"期待の押しつけ"に姿を変えてしまいます。
あの帰り道から、私は一つだけ決めたことがあります。
試合直後は、技術の話をしない。
車に乗り込んで最初にかける言葉を、「なんで」から「おつかれさま」に変えました。
反省も、課題も、もちろん大切です。ただ、それは心が落ち着いてからでも遅くない。
汗をかいて、悔しくて、疲れきっている子どもに、まず必要なのはアドバイスではなく安心なのだと、今は思っています。
「今日もよく頑張ったね」 「見ていて楽しかったよ」
たったそれだけで、息子の肩の力がふっと抜けるのが、隣にいて伝わってきました。
期待そのものが悪いわけではありません。
信じること、応援すること。それは間違いなく、子どもの力になります。
大事なのは、何に期待を向けるか、なんだと思います。
「打ってほしい」ではなく、「思い切り振れたか」。
「エラーするな」ではなく、「その後、切り替えられたか」。
結果は、いつもコントロールできるとは限りません。
それでも、挑戦する姿勢や、失敗から立ち直る力は、その子の中に確かに育っていきます。数字に出ない成長を見つけてあげられるのは、毎日そばで見ている親だけの特権です。
もし最近、お子さんの表情が少し曇っているなら。試合後の口数が、前より減っているなら。
かける言葉を、ほんの少しだけ変えてみてください。
アドバイスより先に、安心を。 評価より先に、共感を。
野球が上手くなることは、もちろん嬉しい。
でも、それ以上に大切なのは、我が子が野球を「好き」でいてくれること。
きっとそれが、私たちが一番はじめに願っていたことだったはずです。
あの日、下を向いていた息子は、今もまだ野球を続けています。
それだけで十分だと、ようやく思えるようになりました。