誕生日にもらった、二つのコップ。少し遠くなった家族と、これからのこと
私は熱血野球パパ、ではありません。
仕事や家庭の事情で、練習や試合にはほとんど行けていません。
最近は、練習どころか、家で家族の顔を見る時間も、少し減ってきた父親です。
このところ、仕事がわりと忙しくて、帰りが夜の10時ごろになる日が増えました。朝も7時半には家を出ます。土日は土日で、妻と次男が朝から晩まで野球に出かけています。そうなると、家族全員がそろう時間が、思っていたより少なくなります。前は当たり前だった、みんなが同じ時間に家にいる、ということが、最近はちょっとした偶然みたいになってきました。
会話も、そのぶん減った気がします。とくに次男とは、めっきり減りました。6年生の男の子で、反抗期のようなものもあるのかもしれません。機嫌のいい日はよくしゃべるのに、そうでない日は、話しかけても短い返事しか返ってきません。話す量は、明らかに前より少なくなりました。
ときどき、何のために働いているのだろう、と思うことがあります。子どものため、というのがいちばん大きい理由のはずなのに、その子どもと過ごす時間が減っている。順番が逆になっているような、妙な感じのする夜があります。
ただ、自分が子どもの頃を思い出すと、私もこんなものだったな、と思います。父親のことを、そんなに見ていなかった気もします。だから、次男が私をあまり見ていないのも、そういう時期なのだと思うことにしています。少しさびしいですが、たぶん、こちらが勝手に、もっと見ていてほしいと思っているだけなのだと思います。
そんなことを考えていた時期に、私の誕生日がありました。2か月ほど前のことです。ケーキがあったわけでも、特別な食事があったわけでもありません。夕飯もいつも通りでした。我が家の誕生日は、だいたいこんな感じで、大げさなことはしません。
でも、その日、長男と次男が、それぞれ袋に入れたプレゼントを持って、部屋に入ってきました。二人とも、少し照れくさそうでした。私も、その場で開けるのが恥ずかしいので、受け取るだけ受け取って、開けたのは1日か2日たってからでした。一人で、こっそり開けました。
先に開けたほうからは、陶器のコップが出てきました。あたたかいものを飲めるやつです。私は仕事や家での作業のあいだ、あたたかいコーヒーを飲んでいることが多いので、そういうところを見て選んでくれたのかな、と思いました。会う時間は減っても、見るところは見ているのだな、と、少しうれしくなりました。
そのあと、もう一人のぶんを開けたら、今度はガラスのコップが入っていました。二人とも、そろってコップです。示し合わせたわけでもないのでしょうが、そろうところが、なんだか兄弟らしいです。ガラスのほうは、夏に使えばいいか、と思いました。
プレゼントを渡すとき、次男は「お父さん、お誕生日おめでとう」と言いました。ふだんの荒い言葉づかいからすると、他人行儀な一言です。しかも、すらすら出てきたわけではなくて、やっとのことで絞り出したような言い方でした。「お父さん、ごめんなさい」を無理やり言わされるときのような、照れと気まずさの混ざった声です。頼みごとは雑にしてくるくせに、こういう一言だけは、うまく言えないようです。
でも、それを聞いて、自分も同じだったな、と思い出しました。私も子どもの頃、親に「お誕生日おめでとう」なんて、素直には言えませんでした。言ったほうがいいと分かっていても、いざとなると照れくさくて、もごもごして終わっていた気がします。だから次男のあの言い方も、たぶん精いっぱいだったのだと思います。うまく言えないなりに、ちゃんと言おうとしてくれた。それで十分です。
こんな父親なのに、ちゃんとプレゼントを選んで、慣れない言葉まで添えてくれる。今度は私のほうから、もう一度きちんとお礼を言おうと思います。言わないと伝わらない年ごろに、お互いなってきているのだと思います。
会う時間が減っていくのは、家族みんながそれぞれ大人になっていく途中だからなのだと思います。次男は次男で外に居場所ができて、長男は長男で自分の世界を広げていて、私は私で働いている。ばらばらに見えて、それぞれの場所でそれぞれのことをやっているだけです。
そういえば以前、次男に、痩せたいなら一緒に走るか、と言ったことがあります。今はまだ、こちらから誘っても断られそうで、誘いあぐねている自分がいます。それでも春を過ぎて、そろそろ走るにはいい時期です。いつか気が向いた朝に、二人で走る日も来るのかもしれません。来なくても、それはそれでいいのだと思います。あのコップであたたかいコーヒーを飲みながら、そのくらいの距離で待っているつもりです。