声出しの声は「出されるもの」ではなく「溢れるもの」
少年野球のグラウンドに行くと、必ず耳にする「声を出せ!」という指導の言葉。 元気よく返事をする子、大きな声で仲間を鼓舞する子がいる一方で、どうしても声が出せない子もいます。
実は、私の息子もそうでした。 小学生の頃、息子は自分から進んで声を出すタイプではありませんでした。恥ずかしいのか、それとも納得がいかないのか、高校生まで、どこか冷めたような、小さな声しか出していませんでした。
親としては「元気がないと思われないかな」「やる気がないと誤解されないかな」と、ハラハラしながら見守っていたことを覚えています。本当に声だしをしない子供でした。なんで出さないのか、本人曰く、「出してる」。
ボールが続いているピッチャーに大丈夫とかおかしくない?エラーした選手に大丈夫って声かけるの?あいつのせいで負けたのに。
それはそうなんですよ、でも、あんたもそういう時あるでしょ、というと、大丈夫じゃないから、そんな時って。変な子供ですよね。ほんとに。
もちろん、怒られていました。「気合が足りない。」と。
そんな息子が今、大学野球の世界でプレーしています。 かつての姿からは想像もできないほど、グラウンドに響き渡る大きな声を出しているのです。そして笑顔があります。
高校生までが嘘のような声です。
声は「出せ」と言われて無理に絞り出すものではなく、心が動いた時に「自然に溢れ出すもの」なのだと今、感じています。
しかし、野球を始めたばかりの子どもにとって、その「義務としての声」や「気合のための声」は本当に必要なのでしょうか。
野球は、静寂と動がはっきりと分かれたスポーツです。 バッターボックスに立つ孤独。マウンドで受けるプレッシャー。 そんな極限状態の中で、自分に気合を入れるとき。あるいは、必死に守ってくれている仲間を心から応援したいと思ったとき。 「っしゃあ!」「頼むぞ!」という言葉は、教えられたから出るのではなく、勝手に口をついて出てくるものです。
理想の声出しとは、まさにこの「勝手に溢れてしまう声」なのではないでしょうか。
では、どうすれば子どもたちの口から、そんな魔法のような声が溢れ出すのでしょうか。 それは、技術を教えること以上に難しい、「本人が野球を心から楽しみ、やる気がみなぎる環境」を作ることにあるのだと思います。
息子が大学野球で今、あんなに声を張り上げているのは、何よりも「野球が楽しい」からです。 実際には高校の時のほうがレベルは高かったと思います。でも、それよりも自分の役割に責任を持ち、仲間と勝利を目指す高揚感。そのエネルギーが、自然と声となって外に漏れ出しているのです。
「声を出せ!」と命令して、型通りの言葉を言わせるのは簡単です。 でも、本当に大切なのは、子どもが「あ、今のプレーすごい!」「今のピンチ、みんなで守りたい!」と心の底から思える瞬間を、どれだけ作ってあげられるか。形式的な【大丈夫】の言葉ではなく。
それこそが、監督やコーチという指導者の、そして私たち親の本当の役割なのかもしれません。 怒られるのが怖くて出す声は、空虚に響くだけです。でも、心が動いて出る声は、チームメイトの心にまで届き、試合の流れを動かす力を持っています。
もし今、あなたのお子さんが「声が出ない」ことで悩んでいたり、指導者に指摘されていたりしても、どうか焦らないでください。
かつての息子のように、恥ずかしさや戸惑いで声が出せない子もいます。内側に熱いものを秘めていながら、それをどう表現していいか分からず、じっと自分を律している子もいます。
そんな時、親ができるのは「なんで声を出さないの?」と責めることではありません。 「いつか、自分の中から言葉が溢れ出す日が来る」と、お子さんの成長を信じて待ってあげることです。
野球を始めたばかりの時期に一番大切なのは、綺麗なフォームで投げることでも、大きな声で叫ぶことでもありません。 「野球って、なんて楽しいんだろう!」という根っこを、お子さんの心に深く張らせてあげることです。
根っこがしっかりしていれば、いつか必ず、立派な幹が育ち、たくさんの葉が茂り、そこから元気な「声」という花が咲きます。
監督が「いい」と決めて試合に出してくれているなら、声が出ていようがいまいが、その子の価値は変わりません。 本人が楽しみ、本気になったとき、声は勝手に出るようになります。 かつては無口だった息子たちが、声を響かせる日は、私たちが思っているよりもずっと早くやってくるはずですから。
最近はそこまで声だしを要求しないチームもあると聞きます。私はそちらに賛成です。
それまでは、親である私たちも、子どもたちのプレーを心から楽しみ、温かい拍手という「声」を届けていきましょう。