部活帰りの自転車を、夜の駅前で待っていた日のこと
夕方6時50分、駅前のロータリーで、私は車を停めたまま、ワイパーの動きを目で追っていました。
雨は昼から降り続いていて、路面に落ちた信号の色がにじんでいます。ヘッドライトを消して、エンジンだけかけたまま、フロントガラス越しに交差点を見ていました。
自転車が何台か、水しぶきを上げて通り過ぎていきます。そのどれかに、息子が乗っているはずでした。
スポーツ少年団にいた6年間、送迎はほとんど私の担当でした。土日の朝5時起き、区のグラウンドの駐車場、遠征のときの高速代。あの生活は、去年の秋で終わっています。
中学に上がって、息子は自転車で通うようになりました。入学のときに買ったブリヂストンの通学用自転車で、学校までは2キロと少し。部活が終わるのは、平日で6時半すぎです。
入学して最初の週に、一度だけ聞いたことがあります。
「雨の日とか、迎えに行こうか」
「いい、みんな自分で帰るし」
即答でした。私も、そうだなと思いました。中学生にもなって親の車で送り迎えというのは、たしかに間が抜けている気もします。
なのに、雨の日だけは車を出しています。
最初は5月の終わりでした。妻が窓の外を見て「今日、けっこう降ってるね」と言っただけで、私は財布と鍵を持って玄関を出ていました。
息子には言っていません。言えば「いい」と返ってくるのが分かっているからです。
だから、駅前のロータリーに車を停めて、通り過ぎるのを見ているだけになります。迎えに来たのに、迎えていない。自分でも、何をしているのかよく分かっていない。
ロータリーには、同じように停まっている車が何台かあります。運転席にいるのはたいてい母親で、みなさんスマホを見ながら待っているようでした。一度、隣に停めた方に軽く手を上げられたことがあって、それ以来、私はコンビニの明かりが届かないあたりに停めるようになりました。
その日は6時45分に着きました。5分ほどして、見覚えのある自転車が来ました。
黄色いレインコートのフードを深くかぶって、立ちこぎでペダルを踏んでいます。ヘルメットの後ろに貼った反射シールが、対向車のライトで一瞬だけ光りました。
窓を下げようとして、手が止まった。
息子は信号で止まり、隣に並んだ同じ学校の子と何か話して、笑っていました。フードの中で、口だけが動いているのが見えます。信号が変わると、二人でそのまま漕いでいきました。
私が見ていた15秒ほどの間、息子が私の車に気づく気配は、まったくありませんでした。
助手席には、念のためと思って持ってきたバスタオルが一枚、畳んだまま置いてありました。その日もそれは使われないまま、私と一緒に家へ帰ることになります。
先に帰るしかありません。裏道を回って、息子より先に家に着きました。
家を出たあと、妻からは「気をつけてね」とだけLINEが来ていました。私が何をしに行ったのか、たぶん察したうえで、それ以上は聞かないでいてくれたのだと思います。
濡れた靴を脱いでいると、10分ほどして、玄関の外で自転車のスタンドを立てる音がしました。
「ただいま」
レインコートから水を垂らしながら入ってきた息子に、私は「雨、ひどかったろ」とだけ言いました。
「そんなでもない」
会話はそれで終わりです。私が駅前にいたことを、息子は今も知らないままです。
中学に上がると、親が手を貸す場面は急に減るのだと、いつだったか何かで読みました。勉強を見てやることも、持ち物を確かめることも、小学生のころとは比べものにならないくらい少なくなるそうです。
言われてみれば、そのとおりでした。
車で運んでいた6年間は、息子が助手席にいました。今日の練習がどうだったか、誰と喧嘩したか、聞かなくても勝手に喋ってくれた時期もあります。だから、何を考えているのか少しは分かっている気になれていたのだと思います。
今は、私は路肩に停まっている側で、息子は通り過ぎていく側です。
そうなってほしくて、6年間ハンドルを握っていたはずでした。それでも、通り過ぎる自転車を見送るのは、思っていたよりも少しさびしい。
雨の日にだけ車を出すのは、たぶん息子のためではなく、私のためなのだと思います。
もう必要ないと分かっているのに、やめられずにいること。読んでくださっている方にも、一つや二つあるでしょうか。あるとしたら、それはそれで悪くないのかもしれません。