チームの親に温度差があってもいいと思う理由
少年野球を始めて驚いたことのひとつが、保護者の関わり方の違いでした。
毎回の練習や試合に顔を出す親。
コーチとして子どもたちを指導している親。
配車や審判、チーム運営を積極的に支えている親。
その一方で、仕事の都合などでなかなか顔を出せない親もいます。
少年野球を始めたばかりの頃は、その違いに戸惑うこともありました。
「いつも来ている人はすごいな」
そう思う反面、
「どうして来られないんだろう」
と感じてしまったこともあります。
今振り返ると、それは私自身の視野が少し狭かったのだと思います。
少年野球は、子どもだけの活動ではありません。
送迎やお弁当、練習や試合のサポートなど、保護者の協力が必要な場面がたくさんあります。
だからこそ、関わる時間が長い人ほどチームのことを考える機会も増え、いつの間にか「頑張っている人」と「そう見えない人」を比べてしまうことがあります。
もちろん、悪気があるわけではありません。
一生懸命やっているからこそ、そう感じてしまうのです。
私自身も、毎週のようにグラウンドへ通っていた時期がありました。
朝早くから準備をして、試合会場へ向かう。
一日帯同して帰宅する頃には、体も気力もほとんど残っていない。
そんな日が続くと、
「私も頑張っているな」
と思うことがあります。
でも同時に、
「来られない人はどう思っているんだろう」
と考えることもありました。
そんなある日、チームの保護者と話をする機会がありました。
その方は仕事の関係で、ほとんど練習や試合には来られません。
当時の私は、「きっと忙しいんだろうな」くらいにしか思っていませんでした。
でも話を聞いてみると、想像していなかった苦労がたくさんありました。
休日も仕事が入ること。
下の子の世話があること。
家族全体の予定を調整する大変さ。
そして何より、
「本当はもっと応援に行きたい」
という気持ちを抱えていること。
その話を聞いたとき、自分が見えているものはほんの一部分だったのだと気づきました。
グラウンドに来ているかどうかだけでは、その人がどれだけ子どもを応援しているかは分からないのです。
考えてみれば、親のサポートの形はひとつではありません。
毎週グラウンドへ来ること、コーチとして指導すること、審判や配車を引き受けること。
もちろんそれも大切です。
でも、それだけではありません。
毎朝お弁当を作ること。
泥だらけのユニフォームを洗うこと。
疲れて帰ってきた子どもの話を聞くこと。
落ち込んでいるときに励ますこと。
遠征費や道具代を支えること。
それもすべて、立派なサポートです。
グラウンドでは見えないところで、多くの保護者がそれぞれの役割を果たしています。
私は以前、「たくさん関わっている人ほど頑張っている」と思っていた時期がありました。
でも今は少し違います。
たくさん関わることができる人もいれば、そうではない人もいます。
それは優劣ではありません。
環境や事情の違いです。
毎回来ているから偉いわけではない。
コーチをしているから偉いわけでもない。
逆に、来られないから応援していないわけでもありません。
大切なのは、自分にできる形で子どもを支えることなのだと思います。
チームの中には、本当にさまざまな家庭があります。
仕事のスタイルも違う。
家族構成も違う。
考え方も違う。
だからこそ、関わり方に温度差が生まれるのは当たり前です。
全員が同じ熱量で、同じ時間を使い、同じ役割を担うことはできません。
それでもチームが成り立つのは、それぞれができることを持ち寄っているからです。
配車ができる人。
審判ができる人。
コーチができる人。
裏方が得意な人。
応援が得意な人。
それぞれの力が集まって、ひとつのチームになります。
そして、子どもたちはそんなことをあまり気にしていません。
誰のお父さんが毎回来ているのか。
誰のお母さんが当番を多くしているか。
そんなことよりも、
野球を楽しめているか。
仲間と頑張れているか。
そちらの方がずっと大切です。
だからこそ親も、「誰がどれだけやっているか」を比べるのではなく、「自分に何ができるか」を考えたいと思うようになりました。
親の温度差にモヤモヤしたことがある人もいるかもしれません。
私自身もそうでした。
でも今は、温度差があること自体は悪いことではないと思っています。
それぞれの家庭に、それぞれの事情がある。
それぞれの家庭に、それぞれの応援の形がある。
その違いを受け入れながら、みんなで子どもたちを支えていく。
それもまた、少年野球の魅力のひとつなのかもしれません。
子どもたちが全力で野球に向き合っているのなら、親もそれぞれの形で全力で応援したい。
グラウンドに立つことだけが応援ではありません。
大切なのは、子どもの一番近くで味方でいること。
それができているなら、きっと十分なのだと思います。