息子が初めて肘を痛がった日
「肘がなんか変」
息子がそう言ったのは、土曜の練習が終わった、夜の風呂上がりのことでした。
スポ少6年生の10月。秋の地区大会まで、あと2週間というタイミングでした。
バスタオルを首にかけたまま、自分の右肘の内側を、左手で押している。リビングの蛍光灯の下で、その姿を見ていたとき、私はまだ「ふーん」と返しただけでした。
ただ、寝室の薄暗がりで、もう一度息子の言葉を思い出して、急に怖くなったのを覚えています。
日曜日でした。
かかりつけの整形外科は、日曜が休みです。月曜の朝9時の受付開始まで、48時間に近い時間が、目の前にぶら下がっていました。
妻に「明日、どうする?」と聞きました。「総合病院の救急、行く?」
妻は少し考えてから、息子の腕をそっと押して「腫れてはいないね」と確かめ、「月曜の朝イチでいい」と静かに言いました。
我が家の医療判断は、だいたい妻が下します。父である私は、頷くしかない側に立っていました。
日曜の昼、息子はリビングでテレビを見ていました。痛みは「ちょっとだけ」と言い、走り回るのは平気そうでした。
私は二階の自分の部屋で、スマホで検索を始めました。
「少年野球 肘 痛い」 「小学生 肘 投球 内側」 「成長期 肘 違和感」
出てきたのは、医療機関の解説ページと、保護者の体験ブログと、整骨院の広告と、Yahoo!知恵袋の数年前の質問でした。「すぐ病院に行ったほうがいい」と書いてあるページもあれば、「成長期にはよくある」と書いてあるページもある。手術の写真が出てきたページで、私はスマホを伏せました。
調べれば調べるほど、月曜の朝までに変えられるものは、何もないことに気づきました。1時間で、スマホを置きました。
日曜の夜、夕食のあとで妻と話しました。
「明日、私が連れていく。仕事、午前休にする」
妻はそれだけ言いました。仕事のシフトが調整しやすい職種で、こういうときに動くのは、いつのまにか妻の役回りになっていました。「ありがとう」と私は返しました。
私にできるのは、月曜の朝、息子を起こして朝ごはんを出すこと。チームの監督にLINEで「練習、休ませてください」と短く連絡を入れること。その2つだけでした。
監督への連絡を打ちながら、私は自分の指が、いつもより重いことに気づきました。「休ませる」と打つ前に、何度か、文面を消して書き直しました。
月曜の朝、息子は普通に起きました。痛みは「土曜よりはマシ」と言いました。
妻と二人で家を出ていった息子を見送ったあと、私は職場へ向かう電車のなかで、ずっとスマホを握っていました。
昼前、妻から短いLINEが来ました。
「レントゲン異常なし。投げすぎ、だって」
たった一行の連絡でした。
夕方、息子は診療所でもらった紙袋を抱えて帰ってきました。投球禁止の指示書と、リハビリのパンフレットが入っていました。
医師の説明を一言にまとめると、たぶん「投げすぎ」だったのだと思います。妻のあのLINEの一行が、医師の言葉そのままだったのか、妻が縮めたものだったのか、聞くタイミングを逃したまま、今に至ります。
そこから3週間ほど、息子は投球練習に行きませんでした。
監督へ休みの連絡を入れた夜、私は息子のグラブを膝に乗せて、いつもより長く、革を磨いていました。投げ手の右肘ではなく、捕球する側の、左手のグラブのほうを。せめて、息子の体の代わりに、その道具を労っているような感覚でした。
息子はその3週間、リビングでよくテレビを見ていました。話しかけても、「肘、まだ少し変」しか言わない日もありました。怒っているわけではなく、ただ、言葉が少なかった。
検診で投球許可が出たのは、それから1か月後でした。いまも、肘の異常は出ていません。
あとから調べて知ったことですが、少年野球をしている子どものうち、肘の痛みを一度は経験する割合は、3割近いのだそうです。そして、痛みがあっても言わずに我慢して投げ続ける子も、少なくないと書かれていました。
医学的に何が正解だったのか、あの48時間にもっと早く動くべきだったのか、いまも私にはわかりません。素人だから、結局は妻の判断に乗っていただけです。
ただ、ひとつだけ、よかったと思うことがあります。
土曜の夜、息子が風呂上がりに「肘がなんか変」と、自分から口に出してくれたことです。
言ってくれなければ、私はたぶん気づきませんでした。父である私にできたのは、ひょっとすると、そのひと言が出てくるのを待っていたこと、それだけだったのかもしれません。