あと何年あるのか、指を折って数えた夜のこと
私は、息子の野球について、先のことを考えるのが得意ではありません。
今週の弁当と、来週の遠征の集合時間。私が把握しているのは、だいたいそのくらいの範囲です。この先どうなるのか、どこまで続けるのか、そういう話は本人が言い出すまで持ち出さないようにしています。
その日暮らしのような関わり方を、6年以上続けてきました。
それが、7月の終わりに一度だけ崩れました。
中学に上がって最初の夏、3年生の引退がかかった試合を見に行きました。市営球場の、屋根のないスタンドです。朝から気温が上がって、日陰にいても背中に汗が伝う日でした。
息子は1年生なので、ベンチにも入っていません。スタンドの端に他の1年生と並んで、ずっと声を出していました。
1年生の仕事は、道具の運び出しと、ボール拾いと、声出しです。試合そのものには、まだ何ひとつ関わっていません。私も似たようなもので、スタンドの一番端に座っていました。3年生の保護者の方たちが固まっているあたりからは、少し離れた場所です。
試合は3点差で負けました。
最後の打者がショートゴロに倒れたあと、3年生が一列に並んで礼をして、そのまましばらく動きませんでした。私のいた場所からは、背中しか見えません。
気になったのは、少し前の列にいた保護者の方たちです。
ひとりのお母さんが、試合の途中からずっとタオルを顔に当てていました。隣にいたお父さんは、ビデオカメラを構えたまま、最後まで一度も画面から目を離しませんでした。
礼が終わったあと、そのお父さんがカメラを下ろして、ふう、と息を吐いた。
その動作を見て、私は初めて、この人たちは今日で終わったのだ、と思いました。
3年間ぶんの弁当と、送迎と、洗濯と、日焼けが、あの一礼で締めくくられた。他人の家のことなので、実際のところは分かりません。それでも、カメラを下ろす手つきに、そういうものが乗っている気がしました。
帰り際、3年生の保護者の方たちは、しばらくその場に残って話をしていました。1年生の親である私は、その輪に入っていくことができません。何を言えばいいのかも分からず、拍手だけして、荷物をまとめて球場を出ました。
その夜、風呂に入りながら、私は指を折って数えていました。
息子が中学で野球をやるのは、あと2年。夏の大会は、2年生の夏と3年生の夏で、あと2回です。
秋の大会と春の大会を足しても、公式戦の数はそう多くありません。土日の練習試合を入れても、これから私が見られる試合は、全部で50あるかどうかだと思います。
50という数字が多いのか少ないのか、湯船の中では判断がつきませんでした。
風呂から上がっても、その数字だけが頭に残りました。
小学生だったあいだは、数えたことがありません。
毎週末グラウンドに行くのが当たり前で、来年も再来年も同じように続くと思っていたからです。
実際、あの6年間で私が見た試合は、足せば相当な数になるはずですが、一つひとつはあまり覚えていません。まとめて「あの頃」になってしまっている。
卒団式の日ですら、私は次のことばかり考えていました。中学の部活は何時に終わるのか、ユニフォームはどこで買うのか、部費はいくらか。終わったことよりも、これから始まることのほうに気を取られていたのだと思います。
数えないでいられたのは、終わりが見えていなかったからなのでしょう。
あとで少し調べてみたら、中学でやめてしまう子ばかりではないようでした。来年の夏で全部が終わる、という話ではないようです。
ただ、高校野球になると親は観客になる、という言い方をよく見かけました。送迎も当番もなくなって、チケットを買ってスタンドから見る。私が数えていたのは、野球そのものの残りではなくて、こんなふうに近くで関われる時間の残りだったのかもしれません。
とはいえ、翌朝の私は、いつも通りでした。
6時に起きて、弁当に冷凍のから揚げを詰めて、水筒に氷を入れて、玄関で「行ってこい」と言っただけです。
数えたところで、やることは変わりません。
むしろ、数えたせいで急に張り切りだしたら、息子はうっとうしがると思います。中学1年の男の子にとって、父親の感傷ほど扱いに困るものはないはずです。
ただ、あの夜に一度数えてしまったので、次の夏の大会が来たときには、残り1回だと分かってしまいます。
知らないままでいられたら、そのほうが楽だった気もします。
数えなければよかった、というほどでもないのですが。