甲子園
甲子園が始まりますね。
テレビから流れてくる行進曲を聞くだけで、胸の奥が少しざわつくようになりました。
私は、もともと野球にまったく触れてこなかったわけではありません。
学生時代はソフトボールをしていました。決してトップレベルではありませんが、そこそこ厳しい環境で、朝も昼も夕方も練習があるようなチームでした。
そのおかげで、ルールについては、一般的なお母さんよりは詳しい方だったと思います。
けれど、それと「野球が好き」という感情は、必ずしも結びついていませんでした。
バッターボックスの緊張感、ミスをすれば責められる空気。
キャッチャーは監督が近くて嫌だ、「外野の方が楽だな」「ピッチャーじゃなくてよかった」そんなネガティブな記憶の方が、強く残っていたのかもしれません。
大きな結果を残したわけでもなく、勝ち切れなかった大会の記憶も、どこか消化しきれずにいました。
そんな私が、プロもアマも関係なく野球を見るようになったのは、息子が野球を始めたことがきっかけでした。
最初はただ、「息子がやっているから」。ルールはわかっていても、見ている視点は完全に親目線でした。勝敗よりも、ちゃんと投げられたか、エラーして落ち込んでいないか、ケガをしていないか。そして大事な場面で打てていたか。
けれど、何年もグラウンドに通い、数えきれない試合を見ているうちに、少しずつ景色が変わってきました。
一球ごとの緊張感、ベンチの空気、控え選手の声。ヒット一本、アウト一つで、一気に空気が変わる瞬間。一人一人にそこまでやってきた歴史があり、野球より選手やチームの背景をみるようになっていました。
甲子園を見て、泣いてしまったことは一度や二度ではありません。派手な逆転劇だけが理由ではありません。
ミスをしても声を出し続ける選手、負けが決まった瞬間に崩れ落ちる背中、スタンドに向かって深く頭を下げる姿、アルプスから応援している選手の姿、息子の姿に手を合わせて眼をつぶっているお母さんの姿。書いていても涙が出てきます。
そこに、息子や、これまで見てきた多くの子どもたちの姿が重なってしまうのです。
忘れられないのは、当然最後の大会です。
順調に勝ち進みました。勝つたびに、「もしかして」という気持ちが、少しずつ現実味を帯びてきました。
もやがかかっていた甲子園が、はっきりと見えてきたのです。
準々決勝の相手は、プロ注目選手のいる強豪校でした。誰もが厳しい試合になると思っていたはずです。
常にベスト8どまりだったので、ここが正念場。もちろん、ここまでくればどこと当たっても強豪校です。
ところが相手は、どこか余裕があったのか、2年生ピッチャーを先発に起用してきました。
その一つの判断が、試合の流れを変えました。野球は、力だけで決まるものではない。
流れという、目に見えないものが確かに存在する。そのことを、あの試合で強く感じました。
試合は接戦の末、勝利。ベスト4進出です。そのときの思いはもう覚えていないほどです。言葉では表せない記憶です。アルプスの選手も、ベンチの選手も全員で勝ち取った試合です。有名校だったので、当初の応援は相手チームが多かったのですが、息子のチームの頑張りを見ていくうちに息子のチームへの応援も増えてきました。
新聞には大きく取り上げられ、「ジャイアントキリング」という言葉が躍りました。68年ぶりの快挙でした。甲子園が、本当に手の届くところまで来ていました。
結果はそこまででした。準決勝で敗れ、夢は叶いませんでした。もちろん悔しさはありました。でも、不思議と心は荒れていなかったのです。悔しいけれど、晴れやかでした。
負けた瞬間、涙が止まらなくなることもありませんでした。
それ以上に、「やり切った」という空気が、息子から伝わってきました。
もしかするとそのやり切った感が強かったのは、私だったのかもしれません。
高校生まで野球を続けていれば、おそらく一度は、「これは別格だ」そう感じる相手と対戦する時が来ると思います。体格も、球の質も、覚悟も違う。同じ年代とは思えない相手です。
けれど野球は、別格の相手がいるから負ける、という単純な競技ではありません。
流れがあり、タイミングがあり、ほんの一瞬の判断で結果が変わる。
だからこそ最後まで目が離せず、人の心を動かすのだと思います。
甲子園に出られる選手は、ほんの一握りです。
ほとんどの子どもたちは、そこに立つことはできません。それでも私は、甲子園が大好きです。
出られなくても、そこを目指して過ごした時間や、流した汗や涙は、確かに子どもたちの中に残っているから。
野球をやっていてよかった。
あの時間を、あの舞台を、あの悔しさ喜びを知れたこと。
それは、私にとっても、そして子どもにとっても、人生の中でとても大切な宝物です。